分福茶釜

必要十分と、少しの贅沢

2023/11/29 スコーンを焼いた

今日は有給をとった。

今月は有給が消えそうだったから毎週週の真ん中で休んでいた。

でも一人暮らしを始めたばかりで家具とか買い出しで忙しくて、毎週の有給は全然ゆっくりできなかった。

引っ越して1ヶ月、ようやく落ち着いてきた。

だから今日は1日家にいた。

朝は白菜と豚肉が入ったうどんを作った。

そしてずっと作りたかったスコーンを焼いた。

狭いキッチンで小さいボウルで作って少し手間取ったけれど、まあまあよく焼けて嬉しかった。

余った卵と牛乳の液とほうれん草、ベーコン、しめじを合わせてレンジでチンして、なんかパイなしキッシュ?的なのを作って、それもおいしかった。

スコーン作ったあとは昼寝して、よく寝た感じがした。

通販も一個もしなかった。

休まった感じがしてよかった。

里山の静けさ

最近奈良の山奥の宿屋に泊まった。

 

とても素朴な宿で、気取らなくて、おばあちゃんちのような雰囲気でとても気に入った。

 

お風呂には柚子が浮かんでいて、部屋の窓からは大きな紅葉の木と流れる川がすぐそこに見えた。

 

晩御飯も、一品づつ運ばれてくる感じじゃなくて、ある程度まとまってお膳が用意されている。

 

広い二間続きの部屋の襖を開けた片方の部屋にもう布団が敷いてあった。

 

旅館で、布団を敷きに来てもらったり、料理を運んできてもらったり下げてもらったりすると、手伝いたくなってしまうから、庶民の私はこんなふうに程よくほっておかれるのが心地いいんだなと思った。

 

とにかく静かな時間だった。

 

国内で日常を忘れることなどできないと思っていたのだけれど、今回泊まったところは心の底からリラックスできた。

 

何もなくて、ぼーっとすることに専念できる空間だと思った。

 

城崎にも有馬にもないと思う。

 

お風呂の小柚子をお湯の中に沈めるとゆっくり浮かんでくる様子。

お風呂から上がって、置き時計の振り子だけが揺れる部屋でそれを眺めている時間。

 

時間が永遠にあると思っていた子どもの頃のおばあちゃんちを思い出した。

 

何もないということがあることの貴重さを感じる。

 

耳の中が里山の静寂に満たされていることの幸福感。

 

私はわざわざAirPodsを3万円出して買って、毎朝川のせせらぎをSpotifyで聞いて仕事に向かっているのだから、都会は豊かなのかなんなのかわからないなと可笑しく思う。

 

静かな時間こそが、私の心を休めて満たしてくれるんだと心底気付かされた。

大阪に帰ってきて難波の街を歩いたのだけれど、欲しいものは何もないと思ってすぐに家に帰った。

 

欲しいものはないと思っていたけれど、すぐにまた忘れて、気づいたら、またシャネルのパウダーが欲しかったり、売り切れてしまったコートを手に入れたくてたまらなくなってしまっている。

心に里山を設けられたらいいのだけれど、なかなかそんなことはできないから、何度でも行ってまた思い出したいと思う。

 

 

 

 

朝のヨガ習慣

ここ一ヶ月ほど、朝にヨガをするようになった。

 

7時50分から8時くらいに起きて、大体15分ほどヨガの動きをする。

 

と言っても、ヨガを習ったことはないからYouTubeの動画を見てみようみまね。

 

 

朝体を伸ばすのが気持ちいいし、体を動かしているうちに目が覚めるので、メリットが多くて意外と続けられている。

 

以前はバタバタの朝だったのに、ヨガをしている時間があるなんて不思議だと自分で思う。

 

ヨガの後、ご飯を食べて着替えて化粧をして、8時47分には家を出るのだけど、特にヨガが時間を圧迫している感じはなくて案外大丈夫だ。

 

朝体を伸ばして、深呼吸をすることで心と体が穏やかになるのだろうか。

 

以前は起き抜けで不愉快な気持ちのまま朝食を取ったり身支度をしていたから、慌ただしい朝という感じだったけれど。

 

最近はイライラしづらくなった気がするし、健康的な気分になって夜も早く寝るようになった。

 

しっかり息を吸って自分の心に意識が向くと、自分の心地よいと思う時や疲れた時を感じられるようになった。

 

やはり自分の体や心の調子が良くないのには寝不足が関係しているような気がして、早く寝なきゃなと思うようになったのだ。

 

家に帰ったらとっととお風呂に入って、お弁当詰めて、1時までには寝るように気をつけている。

 

できる限りたくさん眠る方が自分にはあっているらしい。

 

朝の時間が整うと好循環が生まれやすいのかもしれない。

 

まず、朝5分くらいのプログラムを見つけて試しにやってみてほしい。

 

 

 

 

 

 

あさ窓を開ける

最近また少し片付けをして、あっさりとした部屋になってきた。

 

遠目から見て物が少なく、少しはこぎれいに見える部屋を気に入っている。

 

部屋をきれいにしたら今度は空気もあっさりとさせたくて、今朝は朝の忙しいさなか、窓を開けて換気をした。

 

大阪の下町風の立地だというのに、ちゅんちゅんと鳥の音が聞こえ、いい雰囲気だ。

 

見よう見まねのヨガの動きをして、別の部屋へ行きごはんを食べる。 

 

食べ終わってまた自室に戻ると、今朝の起き抜けの空気は全て外へ出て行って、代わりに朝のきれいな空気が満ちていた。

 

窓を閉め忘れて仕事に出かけないように、自室に戻るとすぐ窓を閉めたが、新鮮空気の中で化粧やら身支度をするのは気分が良かった。

 

仕事から帰って部屋に一歩踏み入れた時も、その空気の清らかさはつづいている感じがして、疲れた体にも清々しさを与えてくれた。

 

いつも、起き抜けの湿っぽいような澱んだ空気を感じるけれど、15分ほどの換気の効果はわりと高いように感じる。

 

簡単なことで、ただ、窓を閉め忘れないようにすることだけ気をつけたら、かなり気分を好転させてる朝の良い習慣だと思う。

 

 

 

 

 

 

案外捨てなかったものを使っている

一年前に身近な人を亡くしてからあまり物を捨てられなくなっている。

 

捨てるということは考えてエネルギーを使うから、疲れてる時はできないのかもしれない。

 

以前はばんばん捨てて行って、片付いていく部屋を見るのが好きだったけど。

 

でも、最近思うのは、案外捨てなかったものを使ってるなということ。

例えば、全然着てない服で、捨てようかなと迷ってた服を今年の春は沢山着たり。

 

一年使わなかったものは不要だという理論でいたんだけど、意外とそうでもないのかもなあと思った。

 

気分が変われば案外使うものもあるなと。

 

私もできることなら捨てずに活用できるのが望ましいとおもっているから、

ちゃんと吟味して買って、買ったものは大切に使っていきたいなと思った。

 

 

 

別に捨てなくてもいい

断捨離魔な私。ちょっと前まで。

 

昔の自分だったら、捨てるなんて気が引けてしまうような思い出の品も、とにかく手放して行っていた。

 

だいぶ、スッキリはしたと思う。

確かに。思い出があるという理由だけで、使いもしない歌手のグッズを持ち続けるのは心も部屋のスペースももったいない。それは手放して良かったと思う。

 

でも、捨てなきゃ、捨てなきゃ、と躍起になっていた感じはある。

 

捨てなければ私は幸せになれない、と。

 

確かに、捨てることでスッキリして、住みやすくなったことは沢山あったけど。

でも、捨てなきゃ、手放さなきゃ、ということに執着していた自分は何か、余裕がなてあんまり好きじゃないかもしれない。結構苦しかった。

 

今は、バリ島のナチュラルな雰囲気に感化されてなんだかエコな気分。

 

だからこそ、ものをバンバン捨てるんじゃなくて、活用したいなって思う気持ちが強くなった。

あと、必要そうなものでも、買う前に一旦カゴに入れて考える。

前だったら、これは必要!と思ったらすぐアマゾンのカゴに入れて購入してた。

 

でも、必要!と思ったものも案外使わなかったり、かさばったり。

 

捨てるのも一苦労だから、簡単に自分のものにしない。

 

自分のものにしなくたっていい、誰のものでもない状態と、自分のものである状態のものは、そんなに差がないように思う。

 

鬼みたいな顔で断捨離しまくるのは、心がギスギスしてる気がするから、

まあ、そんな必死で断捨離してスペース作らなくても、自然な心の状態でいたいなっておもったと言うことです。

 

 

旅は心のリセット、瞑想

この夏は韓国、バリ島、と沢山旅行に行って、とても心が洗われた。

美しい景色に心が現れた、というのもあるけど、

慣れない状況を経験することで、逆に無になった、という感じ。

 

みたことのない絶景や、見慣れない街並み、伝わらない下手な英語、窮屈な飛行機。

 

それらが一気に押し寄せて、日常をいやでも忘れさせてくれる。

 

マニラでの9時間のトランジット。

いろんな顔の人がいて、いろんな服の人がいて、ここでは常識も非常識もないみたいだった。

人それぞれだから、当たり前というものはないんだなあと。

 

まつ毛パーマがどうとか、自分のパーソナルカラーがイエベ秋だとか、そんな細かいことはどうでもいいのかもなあと、マクロな視点になった。

(もちろん、日本の中にいたら、まつげが上がってたり、自分のパーソナルカラーにバチっとハマった服で生きるのは重要になってくるんだろうけど)

 

伝わらない言葉で、必死にサンドイッチを買う。

慣れない英語をなんとか聞き取って、自分の思いを伝える。

 

文法など気にしてられない。伝えることが一番って感じで、普段言葉以上に相手の考えを探っている自分があほらしく思えた。

ゴタゴタ考える必要はないのに、ずっと日本にいると、どうしても言葉以上の意味を考えてしまうようになる。

 

帰国して、ああもうお腹が痛くなる心配はないって、トイレの心配はないってとホッとしたけど、また日本の重苦しい空気に汚染されたくないなって思った。

汚染されるのが怖いと思った。

 

細かい細かい身なりを気にして、欲しいんだか心の穴埋めなんだかで同じような化粧品を買ってしまう自分。

相手の考えを読もうと必死で、疲れて暗くなって、どう伝えたらいいかもよくわからなくなって呼吸が苦しくなる自分。

 

そうならないうちに、次の旅行を予約しなきゃと思った。

 

心のお洗濯。汚れが取れなくなる前に。

 

心をリセット。呼吸ができる自分に。