分福茶釜

必要十分と、少しの贅沢

岡崎京子 戦場のガールズライフへ行ってきて涙出そうになった。

 

伊丹美術館へ岡崎京子展行ってきた。

一枚目の原画見たときになんだかもう涙が出そうになった。なぜだかわからないけど。

 

遠い存在だった岡崎京子先生を、とても近くに感じられて、うわっとなってしまったのかも。

事故で体が不自由になってしまって、もう過去の作品の中でしか出会えなかったから、紙の皺とか鉛筆のたっちを見て、感極まってしまった。

 

展覧会場を一通り回って、やっぱ岡崎京子って天才ー!と平凡な感想を抱いた。

 

激しくて、絶望的で、軽妙で、明るくて、爽快で、東京っぽくて、古くて、新しい、もう色々な要素を含んでるなあと、改めて思う。

 

はあー、、当分たくさん買ったグッズを眺めては 岡崎京子先生に思いをはせる日々が続きそう!

 

 

 

 

憧れ。成熟した大人のつける真珠

 

オリンピックに出るゴルフの選手の大山志保選手が、テレビのインタビューに答えていて、耳にはパールの揺れるイヤリングをしていた。

 

それがとても素敵で、いつか読んだ光野桃さんの本の中に、パールこそ大人のための宝石だと書いてあったのを思い出した。

 

水分を失った年老いた肌、張りを失った肌にこそパールの艶やとろみがしっくりマッチすると書いてあった気がする。

 

大山志保選手の肌に水分がないとか張りがないって言いたいわけではないけど、練習をたくさん重ねて、焼けたからっとしたお肌に、揺れるパールがとてもマッチしていて大人の魅力を感じたのは確か。

 

逆に、肌ツヤのあるぱんっぱんに膨れた10.20代がパールをつけると確かにくどくい印象を受けるだろうなと想像した。

つけるとしても小さなの控えめなやつを一粒だけつけるくらいが限度かもしれない。

 

 

 

年を重ねると肌の水分量はへって気分までしょぼくれてしまいそうだけど、そうなったらパールがあるしとお守りのように言い聞かせて年を重ねたいもんだす。

化粧道具①

パフやブラシを化粧ポーチからかきあつめて洗います。(チーク用のたっぷりしたブラシからアイシャドウの小さなチップまで)

 

洗剤と水を含ませたパフやブラシを揉み込むと汚い色の泡が出てきて、ああ あらってよかったなと思うわけです。

 

さらに揉み込んで また洗剤を足して、汚い色の泡が出なくなったら、よく水ですすいで軽く絞っります。

 

一晩乾かして、次の日にはもとの場所に戻して完了です。

 

化粧品を買うお金がなかなかないので、化粧道具を拭いたり磨いたり洗ったりして、新鮮味を味わっています。

シンプルなんて嫌いだよ。

シンプルに暮らす シンプルに生きる

そんな言葉に惹かれるようでは自分自身はシンプルとはまだまだ程遠いと思ってます。

 

だけどなんとなく気になってしまって、悔しい思いをしながら表紙を開いて、ケチをつけつつもふむふむと感心して読み進めるのです。

 

シンプルな生き方や暮らし方は自分で編み出すしかないものだとわかってます。

だからこそ、その工程をすっとばして手っ取り早くシンプルを手に入れようとしてる自分の怠けがムカつくんでしょう。

 

早くシンプルの境地に到達して、シンプルという言葉に見向きもしない生活が送ってみたいもんです。

 

 

私の退屈な脚にちょっといいストッキングを。

昨日の朝 着替えるときに気づきました。

伝線したストッキングしかないことに!;;笑

 

そこで、仕方なく伝線したストッキング2枚重ねて履いて出かけておいて、コンビニで買って履き替えることにしたのです。

 

私が持ってるストッキングといえば、イオンとかで売ってるような3足1000円の安いやつばかりです。

どうせ消耗品だし、安くてなんぼでしょ!って感じで。

 

でもコンビニには1足500円くらいのストッキングばかりで、いつも履いているものよりちょっと高い。

 

仕方なくその500円のストッキングを買って、お手洗いで履き替え。

 

片足をそのストッキングに滑り込ませたときちょっと感動しました。

その滑らかさとにじみ出る丈夫さに!

なんかいい感じ!いい女になったみたい!

退屈な気分だった脚が ちょっといいものになったような感じがして、底上げされた気分(´ω`)

 

今までは破れやすい、ただの消耗品くらいにしか考えてなかったけど、肌に密着するもので、なおかつ人からも見えるパーツを包むストッキングって、よく考えたら結構たいせつなのかもしれないですね!

 

ちょっとだけ値段が高いものを選ぶだけで、ぴったりきて滑らかで、丈夫な感じして、履いてるだけでキチンとした気分になれるなって、思いました。

 

今日はさっそくイオンでストッキングを調達しました。

勿論3足700円のストッキングはスルーで、一足500円のやつを!笑

 

もっともっと高いストッキングはどんな履き心地なのでしょうか?

めっちゃきになります。

 

とりあえず、もうちょっとリッチになったら一足千円のストッキング履いてみたいです

 ( `ー´)ノ

 

 

 

なんだか家よりカフェが好き。梅田第三ビルのカフェでぼけっとする土曜

 

私は生まれてこの方ずーっと家大好き人間でした。

外なんて疲れる。家が一番楽だし落ち着くし。って思ってました。

家族中もよかったし、別に家にいるのが苦痛じゃなかった。

 

でも最近はなんだか家よりカフェのほうが好きです。

なんか落ち着く。

人目をはばからずぼけっとしてます。

 

年を取るごとに家族と一緒の家が落ち着かなくなってきてるなと感じます。

話し声がうるさく感じたり、考え事がはかどらなかったり。

 

かといって一人暮らしするとあまりにも静かな部屋に憂鬱になるんですが、なかなかバランスが難しいものです。。

 

今日は梅田の第三ビルのカフェでぼけっとしてきました。

ノートとペン、あと教科書とお気に入りの文庫本を持参して。

まあまあかばん重かったけど結構リラックスできました!

普段、梅田?遠い疲れる!って思ってるタイプなんですけど、行ってみるといいですね!

土曜の梅田のカフェとか混んでるとしか言いようがなさそうですけど、第三ビルのb2と渋いチョイスでまあまあリラックスできるカフェに行きつけました( `ー´)ノ

 

カフェラテ飲んで、ツナトマトベーグルサンドむしゃむしゃ食べて。

自分の頭の中の事を3ページくらいノートに書きました。

ぼけー ぼけー ぼけー

 

土曜日にぐだぐだ家にいて過ごすより、こっちのほうがいいなって思いました。

 

空いてるカフェ大好き!

 皆さんもぜひ!

 

 

自分らしさはカテゴライズできない。

グレーのプリーツマキシスカート
黒のTシャツ
薄いブルーのボーイフレンドデニム
白のトップス


最近ワードローブがこんなかんじ。

白のトップス以外今季買った洋服たちですが、私にぴったりきてるらしいです。

この服達を手に入れてコーディネートを確立してから、心に焦りがなくなりました。
着る服があるという安心感はとても大切だなあと思います。
着心地が悪くなく、街のガラスなどにふと映った自分を見ても悪くないなと思える服。
そんな服をなかなか見つけられなかった私にとって、そのような服を纏える毎日は地味に とても幸福なことだと思います。

自分にしっくりくる服達と偶然にも出会えて思ったことは、私らしさは雑誌の中には無いということ。

やっぱり私がすきな雰囲気はカテゴライズできない。

JJみたいなカッコいいおしゃれも好きだしサブカルっぽいかんじも好き。camcanみたいな甘い服にも憧れる。
PUFFYみたいな超リラックススタイルもいいと思う。
でも、私がついつい手にとってしまう服や、着ていて私っぽいなと思う服は、クリーンなかんじがして 丈が長めの 落ち着いた服。どちらかというと保守的。
女らし過ぎてもだめで、カッコよすぎてもだめ。ゆったりしすぎてても違う。


世の中で勝手に分類して名前をつけたカテゴリの中に、完全に一致できない。

私は雑誌が好きで、何系になるかすごく迷ってた。
森ガールも可愛かったし、サブカル女子も新鮮でかっこいいなと思ってた。でも、いい女風のお姉さんにもなりたいなって。
どんな系統の人生を送りたいかすごく迷ってた。
マンハッタンで暮らすキャリーがかっこいいと思ったし、東京のバリキャリOLも素敵だと思った。でも、モテキみたいななんだか怪しくて雑然としたカルチャーな暮らしもたまらなくしてみたいと思って、私はどんな生き方がいいのかなって悩んだ。

今思うとそんなのはほんとにおかしい。

決められた系統に自分を合わせる必要は一切無いのに。

マンハッタンのキャリーみたいなざっくばらんな一面を持ちつつ、バリキャリOLみたいにびしっと背筋をのばして、時にはモテキみたいなカルチャーな雰囲気に浸ればいいだけ。


雑誌や世間が定義してるいくつかの生き方の枠とひとりひとり違う人間。

人間に対して枠が少なすぎるでしょ!

完全に一致できるわけ無いですよね;;

そんな当たり前のことにも気付かず、自分の着る服とか、将来さえも世間が作ったいくつかの枠から決めようとしてた。

だから上手くいかなくて悩んでたんだなーって、今は思います。

もっと自分ありきでいいんだと。

なんか好きだと思うことを、自分が目指すカテゴリーとは違うからと言って排除する考え方はもうやめます。

私という一つのカテゴリーなんだと。
私が選ぶものは全部私だと 自由に生きます。