分福茶釜

必要十分と、少しの贅沢

ド田舎に1週間滞在して思ったあれこれ

お正月に里帰りしてきた。

鹿児島のド田舎が私の生まれ故郷。

7年前に関西に引っ越してきて、3年前に大阪に住むようになった。

 

鹿児島を離れて早7年。

2年前に帰ったときよりも、このド田舎さ加減を客観的に、ありありと感じられるようになってきた感じがする。

車や人通りが激しい風景の方が見慣れるようになっていて、故郷だけど少しづつその「故郷」という感覚が薄らいでいくような感じがした。

広いおばあちゃんちは暖房がない部屋ばっかで、寝るときに顔が死ぬほど寒くて寝れなかった。

鹿児島は外は春みたいにあったかかったけど、室内はホホバオイルが凍り付くくらいに寒かった。

 

大阪のコンパクトな、すぐに暖房がきく自分の部屋に帰ってきたとき、その小ささが大好きだと思った。

 

ちょっと前は中学生だった友達と久々に会って、その子の車でドライブに連れてってもらって不思議な気分になった。

私と同じ年の車を上手に運転するその子は、もう4年も前から働いていて、とても立派だと、自分が恥ずかしく思えた。

 

ドライブで連れてってもらった、海が一望できる高台の公園の展望台からの景色はすごくきれいだった。

空と海の境界がぼやけて、雲一つない空はしっとりとした質感で、目にいっぱいに映る空の青色は、空中に浮いているようななんとも言えない感覚を誘った。

 

この公園の近くに14年も住んでいたのに、この場所を知らなかったことに驚いた。

この公園に向かう道すがら、昔見たことのある風力発電の白い風車が、山の緑とのコントラストで美しい事にも、この日初めて気づいた。

 

田舎に時間かけて帰る事に対してすごくネガティブだったけれど、地元の自然の美しさに気づけたり、同じ年で立派に働いている友達に会って襟を正すような気分になったり、中学生のころには知らなかった、おいしい居酒屋さんでと友達と酎ハイが飲めたり、結構楽しかったし、いろいろ気づけた1週間だった。

 

 

 

 

 

 

徳を積んでいつか南の島へ

納得できない事やめんどくさい事ばかりでやになる。

でも、これは将来幸福になるための修行として、精進しようかなと思う。

無給で研修受けるのはイライラするけど、きっと自分の為になるんだろうし。

ほんとに、目の前のことをこつこつある程度適当にやっつけてたら、いつかその行いが本当に私を南国に連れてってくれるんじゃないかなと考えたりする。

 

 

 

食べて遊んで、いい気持ち!  明日のためのハワイ(CREA Due)

ハイヒールラブだったけど、スニーカーも最近は好き。

私の脚はすごく短い!

だから私は小学校6年生くらいから、学校以外ではパンプスみたいな、足の甲が出る靴を履いてきた。

最初はヒール1センチくらいのストラップ付のものを履いていたけど、それでは物足りなくなり、太いヒールの7センチくらいのヒール靴を好んで履くようになった。

 

ヒールがある靴を履くと、目も当てられないようなみじめな短い脚も、人並みくらいになるから、それを履くのが好きだった。

細いヒールは歩きづらいけど、太い奴なら全然歩ける!と、大学に入ってからも、満員電車や教室までの長い坂道にもヒールの靴で通っていっていた。

 

でも最近どうも、、、年なのか?

すごく脚が疲れる。前までは足長に見えるから我慢できた靴がとても憎らしく感じる事が多い。

でこぼこしたアスファルトをこの靴で歩くのが憂鬱。

イライラして靴をその場で脱ぎ捨ててたたきつけたくなるくらい、その歩きづらさを感じる。

 

そんな時に、新しく買ったスニーカー。

7000円のスケッチャーズ。こんなちゃんとしたスニーカーを買うのは本当に久しぶり。中学生ぶりだった。

スケッチャーズのクッション性抜群の靴は本当に歩きやすくて、足の疲れ方が全然違って感動してしまった。

ぺたんこのパンプスよりもずーーっと歩きやすくてスニーカーが長年愛されている理由に気づいた。

 

ああ、、これはいい。。学校にもこれを履いていこう。。。

最近では高いヒールのサイドゴアブーツよりもこの子が私の相棒となっている。

 

フットワークも軽くなったし、前まではくたくたに疲れていた凸凹アスファルトも平気になった。

脚の短さは隠しがたいけど、歩きやすさには代えられない。。。年かな。。

 

ちょっと前の私ならスニーカーを買う金があったらおしゃれなハイヒールがほしい!!と思っていたけど、最近は白のコンバースがほしくて仕方ない。

白のコンバースの事ばかり考えてしまう。

多分来週あたりに買ってしまう。

早くそれを履いて出かけたいなーと、楽しいスニーカーライフに思いをはせている。

 

当分このスニーカーブームは続きそうだなーと、仕舞ったヒール靴に同情する今日この頃です。

 

 

自分の体に小さな変化を。

運動嫌いな私。

走っても30秒と持たないと思う。

生きてるだけですぐにぐったり疲れてしまう。

 

燃費が悪すぎると思って、最近少しづつ意識して体を動かしたいなと思えてきた。

 

本当にちょっとしたことだけど、マイメロの万歩計アプリをダウンロードして、日々7000歩を目標に歩いている。

歩けない日も少なくないけど、それはそれで、自分がどれくらい歩いたか把握できるからアプリをダウンロードしてよかったと思う。

 

後、夜に、腹筋をするようにしている。

最初は5回腹筋するのにもぜえぜえしてしまって大変だったけど、毎日続けているうちに、7回、12回、、とできる回数が増えてきて、最近では20回は腹筋できるようになった。

 

まだまだ全然できないけれど、最初のできなさに比べたら進歩していてうれしくなる。

 

それになんだか疲れやすさも軽減してきて、姿勢をまっすぐ保てるようになってきた気もする。

 

ほんの少しの事だけど、体がちょっとづつ変わっているようで、これはこの先も続けたいなと思っている。

 

 

就活中1000回くらい死にたいと思った

ここ最近、やっと就活に終わりの兆しが見えてきました。

両肩のずしっっとのしかかる重荷が下りたような、安心した気分です。

 

思い返せば去年の12月ごろから就活をしぶしぶ初めて、1年弱。

本当死にたいとよく思った1年でした。。

 

自分の駄目さにしにたい。

今までの自分のあほさに死にたい。

こんなに就活頑張る目的が毎日8時間働く社員になることだという事実に死にたい。

面接前夜に死にたい。

お祈りメールに死にたい。

夏の暑い中スーツを着て歩くのに死にたい。

説明会に来るほかの学生の意識の高さに死にたい。

リクルートスーツのダサさに死にたい。

周りに取り残されてる自分に死にたい。

この先もっとめんどくさい事が待っているのかと思うと死にたい。

 

3年間、現実逃避していた私は、自分について、この先の人生について、いきなり考えなければならない段階に来てしまって、迷いと悩みと後悔と死にたさの毎日だったわけです。

 

就活を始めて約1年たってやっとわかってきましたが、就活は心の状態がとても大切な気がします。

 

私は就活に対して嫌なイメージしかありませんでした。

そう感じながらも、就活しない準備をしていなかった私にも就活解禁日が来てしまい、その就活の波に乗らなければならなくなった。

 

私は当初就活をしていて、趣味の悪いショーを見ている気分でした。

自分はこんなのしたくないし関わりたくないという感じで、傍観者な気分が抜け切れてませんでした。

 

それが私の失敗の始まりだったかなーと感じています。

趣味の悪いショーに見えても、割り切っていち早くそのショーを演じる役者になるべきでした。

もう、悪あがきをしないでどっぷりと就活色に染まってしまう事が大事だったなと思います。

 

割り切ってとっとと終わらせるか、どうしても就活したくないんなら、それなりの準備をしとかなきゃ、もうどうしようもないです。

 

就活終わりかけて、当初感じていた就活の趣味の悪さというのは少し薄らいできました。

私も洗脳されてしまったんでしょうか?

でも、飛び込んでみなければわからない世界というものもあると思います。

これが世間の厳しさだよ!と就活は逃げまくっていたあほな私に教えてくれたのかもしれません。

 

もし私と同じように、就活に対して漠然と不安や嫌悪感抱いてる方、なんとなく就活では死にたい気分になってそうな未来がまってる気がする1.2.3回生の方は、どうか、未来について考えることを恐れず、意識高い系(笑)になってもまあいいと思いますので、就活に染まる覚悟を持つ”準備”をしたらいいのかなと思います。

 

 

 

絶対内定2018―――自己分析とキャリアデザインの描き方

絶対内定2018―――自己分析とキャリアデザインの描き方

 

 

私は貧乏大学生。おとなしくユニクロを買う

私のバイト代は少ないけど、旅行もしたいし好きな服着て過ごしたいし、カフェにも行きたい。

 

たまにどれを優先すべきかわからなくなる。

 

高い服を何着か買ったとき。手持ちの服となじまずに困惑した。

あるいは学校に気軽にきていけなくて結局着ていく服がなくなった。

 

沖縄旅行に行ったとき。旅行代にお金が全部行ってしまって、新しい服を買うお金は無くなった。去年の服を何とか組み合わせて着ている私が気恥ずかしそうな顔して写真に映っていた。

 

どちらにバランスが崩れても不幸だ。

可愛い服はあるのに着ていく場所がないのも、着ていく場所があるのにかわいい服がないことも。

 

私は自分が恥ずかしくない格好で生きないと不幸なんだ。

そんでもって経験にもお金を出して、幸福感を長く味わいたいんだ。

 

その2つ。何とかクリアするには頭を使うほかないんじゃないかとおもう。

 

無駄のないワードローブを組み、着ない服が出ないように買い物をする。

そんでもって余ったお金で旅行する。

 

ユニクロでも似合うように自分自信に気を配る。

髪型やメイクをきちんとしてもさっとさせない。

 

それがファッション代の一番の節約方法なんじゃないかと思う。

 

貧乏が楽しむためには、もうそれしかない。

高い服は社会人になってからたっぷり買うとして、今は、有り余るこの時間を幸せに過ごせるように、賢くお金を使いたい。

多分私は笑ってる時間が少ない

私のコンプレックスの一つとして、顔がのっぺりふわふわしているという点がある。

メリハリがなくて、筋肉が緩んでるようなのっぺりした顔。

なんだか幼くて、さえない顔。

 

それが私の顔の嫌いなところの一つです。

 

単純に、顔の筋肉使ってないんだと思います。

一人が好きだからって、あんまり友達とも会わない。

そうなってくると、がははと笑う機会もあんまりなくて、表情筋の出番がなくなる。

自然と衰えて、メリハリのない幼い変な顔になっちゃう。

 

私は一人のほうが気楽だから好きです。

だから、無理して人とずっと一緒にいなくたっていいじゃんって思ってました。

確かにそれは楽。

でもこの調子では、表情豊かで魅力的な人には、なれない。

 

一人ぼっちは悪ではないけど、不細工になりやすいかも、と危機感を覚えます。

 

乃木坂のかわいーきらっきらした子たちを見ると、もちろんその顔の造形が整ってるっていうのは勿論なんですが、ぱあっと明るい雰囲気というのが何より素敵だなと思うんです。

やっぱり、陳腐だけど笑顔って大事。

子どものころは「は?」って感じだったけど、大人になればなるほど、素敵な笑顔ができる人の希少価値が上がって、とても大切な要素になるんじゃないかと思います。

 

私の顔は大嫌いだし配置は変えられないけど、もっと人と楽しくコミュニケーションが取れて、心から笑えていたら、こんなのっぺりした顔じゃなくて、もっと好きな顔になれてたのかなあと思います。

 

今日からもっとにこにこしよ