ねぎをたっぷり入れて食べるお味噌汁
無印で買った赤の漆のお椀は
私が大学生のころの、一人暮らしを始めるときに買ったもの。
漆のくせにほんとにうるしなのか?ってくらい
食洗器にガンガンかけれる手軽なお椀にインスタントのお味噌汁を。
味噌と乾燥した具をあけて、買ってきたすでに誰かが刻んでくれた刻み葱を
どっっっさり、それはもう、どっさり入れて
その上から熱々のお湯をかけてねぎに火を通して
食べる
というのが、私の小さな幸せを感じる瞬間です。
程よく食感の残った葱がおいしいです。
インスタントの味噌汁に、ひと手間といえないほどの小さなてまをかけて
食べるのが好きです。
三つ葉やみょうがを刻んでおいて、同じようにインスタント味噌汁にどっさりいれてたべるのも好きです。
DIorと私
先日友達がプレゼントを買うからということでデパートのDiorについていった。
やることもないから適当に香水の香りを試して待っていた。
BAさんが私に近づいてきて、手首に香水をふってくれた。
その香りがとても気に入ったけれど、とても高価だったから買うのはやめた。
友達がプレゼントとして買ったステラーの92番というグロスは青色のラメとピンク色が夢のようで、他のグロスとは群を抜いてダントツにかわいかった。
人気商品だし、私もほしいななんて思ったけれど、買うのはやめておいた。
Diorに並べてある商品はどれも優雅で、素敵だったけど、私がこれを持つことに何の意味があるんだろう。
そりゃ、Diorのリップや香水を持っていたらテンションは上がるしうきうきするけど、
ただでさえお金がない私が、こんな高価なリップや香水を身にまとってどうするんだろう。
私のこのへんてこな顔に、こんな夢みたいな青ラメのグロスが似合うんだろうか。
つけたって、どっかの安いコスメに見えるんじゃないだろうか。
この安物で固められた私の身なりに高級感あふれるオードトワレを身にまとってもちぐはぐじゃないだろうか。
この香水を1万円で手に入れる前に、靴を新調したり、美容室に行ったりした方が、ずっと身の丈に合っていて、私を素敵にみせてくれるんじゃないか。
小娘が不自然な香りを漂わせてるな、とか、服の割にど派手なリップグロスつけてんな、とか思われないように、
素敵な香りがしっくりくる、なんだったら安いコスメがDiorに見えるくらいの、素敵なおねえさんにならなきゃなと思いました。
ジャドールのムエットだけが、数日経った今でも夢みたいに香っています。
「欲しい物」なんてもんは存在しないのかもしれない
私は毎日欲しい物が出てくるので欲しい物リストを作ったりする。
手帳やノート、付箋やアイフォンのリマインダー、メモ帳等、あちこちに欲しい物リストを作成し、忘れる。
たまにふと、ノートやリマインダーやメモ帳を見返していると過去の欲しい物リストが出てくる。
読み返すとたいてい今は欲しくないものだったりする。
あの時はあんなに欲しくて欲しくて何度もウェブページを訪れて、メルカリで探して毎日売り切れてないか確認してたアレが、今はどうでもいい。
買わなくてよかったなーとも思うし、あんなに情熱を注いでいた事が馬鹿らしくも思えてくる。
そんな経験を何度かするうちに、私には欲しい物がないような気分になってきた。
欲しい物は欲しくなくなるから。
私にとって「必要な物」はあるのかもしれないけど、「欲しい物」は無いのかもしれない。
3か月間、ずっと欲しいと思い続けた物は、本当に「欲しい物」なのかもしれないけど、そんな物はめったにない。
気まぐれに似たような色のリップを買うより、お母さんに何かプレゼントを買った方が、いかにも有益なんじゃないだろうか。
丁寧に一日を過ごしたい。
入社して一か月。
慣れも手伝って、毎日に新鮮さがなくなってくる。
何もかもがかったるく、我慢出来なくなってくる時期に突入した感じがします。
ああ、これが5月病というやつか、と学生時代の五月病は偽物だったんだなと分かりました。
職場環境が嫌で、イライラしてお酒を飲見過ぎてしまうことがここ最近多かったです。
部屋は汚いし、会社でミスをしてしまうし、不満ばかり言って笑顔は作れないし。
ダメウーマンな感じです。
さっき、松浦弥太郎さんの『今日もていねいに』という本を引っ張り出してきて、何気なくパラパラ読んでました。
学生だった頃は、ふーん程度にしか思わなくて仕舞っていた本なんですが、社会人になると心に響く内容が多かったです。
つまらなくて息苦しい毎日をていねいに、あたたかく過ごす為のコツが沢山書かれてる感じがしました。(学生時代はつまらないけど息苦しくはなかった)
毎日つまらなくて嫌で、やめたくて、休みだけが楽しみの一週間で、少しやけになっていた私にとっては、自分の生活を改めたいなと思わせてくれる本でした。
つまらないからこそ、身の回りの物を気に入ったものにしてモチベーションを上げたいし、食べるものも気を配りたい。
この一か月ばたばたして、時短ばかり考えていたけど、時短時短では息が詰まる事に気づきました。
物にはかけるべき一定の時間があるんじゃないかとさえ思います。
会社の為に自分の時間までつまらなくしてしまわないように
きちんと自分にも時間を使ってあげたいです。
明日は、机の上をかたずけてきれいに拭いてしまって、床も椅子の脚も拭きたい。
せっかくのお休みだからにこにこして軽やかに過ごしたい。
死にたいなんて思わないように、連休で心も生活環境も立て直したいです
いつの間にか会社の愚痴を言うOLになってしまった。
「唇から散弾銃」のセリフ一つ一つに親近感。
働く若い子の感覚という感じ。
欲しいものは多いけど、お金がなくて、考えが甘くて視野が狭い。
働きたくないけどお金が欲しくて南の島に移住したい。
本当に私みたいで笑うし、いつの時代も女の子のふわふわした甘い考えは変わらないのかなとか思う。
ただ、あっけらかんと明るい軽妙な雰囲気は今の世の中にはないよねって感じはするけど。
でも、唇から散弾銃が飛び出すというような表現がぴったし来るくらい今の私達もがんがん愚痴ったり笑ったりしてます。
この漫画の最後に、この登場人物3人がアラサーになったときの会話みたいなのがのっていて、ああ、私もいつかこんな風に気づいたらアラサーなんだろうなって思います。
ふまんは多いし、愚痴も多いし、愚痴を言うのも楽しいけど、毎日を軽妙に楽しみたいです。
私は80年代とか昔の時代が好きだけど、同じ時代は2度とめぐってこないし、過ぎた時代はよく見えるものだから、今という時代を思いっきりトレンディに楽しんで行きたいなとレトロ好きの私としては思います。
どんなにかったるい大学生活も、やめてしまったアルバイトも、終わってみたらとても楽しい記憶だし、後悔が必ずついて回る。
でも、人生に予行演習はないから、公開がないようにめっちゃ楽しむか、ベストの選択をする努力をしなきゃね。
未来の私を楽しませる思い出作りをしてんだなくらい、軽いノリで生きていきたいです。
明日は休みだラッキー
拭き掃除でつまらない毎日に丁寧さを。
会社員生活が始まって、3週間。
そろそろ職場の雰囲気にも慣れてきて安心する一方で、繰り返しの毎日に少し飽き飽きしてきています。
退屈なくせに1日、1週間は割とあっという間で、損した気分です。
毎日同じ道を歩いて退屈な会社へ行き、同じ道を通って家へ帰る。
家へ帰ったらとっととシャワーを浴びて、ご飯食べて日報書いて寝る。
それを3週間やったとこところでもうすっかりあきてしまいました。
早寝しなければならないから、本も、映画も、ドラマもなんだか見る気にならずに、
11時くらいになったら「ねるか」となってしまっているわけです。
そんな私の生活に、昨日くらいから始めた拭き掃除が、日常をほんの少しだけ丁寧な気分にさせてくれています。
雑巾を硬く絞って、椅子の脚から、棚の上から、床まで、拭きたいところは全部1枚の雑巾で豪快に拭いてしまいます。
そうすると、床がさらさらになって、心なしか部屋がぴかぴかになって見えて気分がいいんです。
人間の生活やってるなって気分になれて、割とこの拭き掃除は好きだったりします。
もし時間が10分くらい空いてたら、ぜひやってみてください。
バリで見た綺麗なお姉さん。
今回、初めて東南アジアへ行っていろんな事を感じたけれど、美しさについては特に考えさせられた。
アジアンビューティーというものを初めて感じた旅だった。
ガルーダインドネシアのCAさんや、バリ伝統のダンスを踊る踊り子さん。
なかでも、忘れたくないと思うほど素敵だったのが、インターコンチネンタルの日本語コンシェルジュのお姉さんだった。
褐色の肌にくっきりした目。黒い髪をギブソンタックに結い上げて、小柄な体に真っ白な麻の素材の制服がとても美しいなあと思った。
背筋がすっと伸びて、上手な日本語でにこにことサポートしてくれてとてもかっこいいなあと思った。
あと、姿勢の正しさと笑顔の大切さも感じた。
どちらも世界共通なのだなあと
姿勢を正して、にこにこしていることは、ぐずな私でもまねできる、今日から習慣づけたい大切なポイントだなあと思った。
日本では、美白が素敵だとずっと思っていたけれど、そうでもないのかもなあと思った。
日本のメディアで刷り込まれた美意識になじんでしまっていたから、このようなアジアな美しさが新鮮に感じて、いかに自分の美の定義が狭い物なのか感じた。
この世の中には、私が知りもしないような美しいものがまだまだたくさんあるのだろうなと思って、この世にすこしわくわくした。