分福茶釜

必要十分と、少しの贅沢

地獄の苦しみの恋は自分が未熟だから

ガチ恋は、する方もされる方も地獄なのかもなあと思う。

 

まず恋してしまう方は言わずもがな、地獄の苦しみ。

相手に翻弄されて、小さなことで喜んで、小さなことで悲しむ。

自分のために与えられているはずの自分の心や体や時間を、相手に惜しみなく捧げる。

 

一方で、恋される方も結構大変だと思う。あまり経験はないけど。

自分に執着されることは結構怖いんじゃないかなと思うから。

なんでそんなに私がいいの?と。

わからなくて気味が悪いんじゃなかろうか。

 

私はちょっと前までガチ恋をしていた方な訳だけれど、

きっと向こうは結構迷惑だったのかもしれないなあ、と今は少し反省している。

 

相手の気持ちを考えていなかったな、と。

 

恋は盲目というけど、自分も相手も見えなくなってしまう。

相手のために、心や時間、時には体を捧げているような錯覚に陥るけど、

結局自分のためにしている。

 

見返りが欲しくて自分を捧げる。嫌わないでほしい、もっと好きになってほしい。

たくさん自分を捧げているのに見返りがないと、次第に苛立ってきて、しまいには殺してしまいたいくらい憎くなってしまう、というわけ。

 

恋は自分勝手なものだなあ、と思う。

相手に自分を好きになってほしい、という身勝手な考えに支配されてしまって、不合理なことばかりしてしまう。自分にも相手にも。

 

相手の気持ちを考えられなくなって、相手のためだとか言って自分勝手なことばかりしてしまう。

 

ああ、恋に踊らされることは、バカらしくて、なんだか未熟だなあ、と思った。

 

結局、自分が自分で苦しくなるように仕向けているみたい。

こだわらなければもっと気楽なのに。

自分の幸せを求めれば求めるだけ、それが手に入らなかった時の苦しみが大きいというのに。

それを知らずに、自分の足りないところを相手に求めてばかりで、自分は何も与えようとしない。

 

今回失敗してみて少し気がつけてよかったなとも思うけど。

 

修行を積んで、相手のことをちょっとでも考えながら恋ができたなら、

もしかしたらもう少しうまくいったのかもしれないなあ。

 

お風呂はめんどくさいけどいいもんだ

お風呂に入るのがめんどくさくて、眠くて疲れてて、そのまま布団に転がって朝まで寝てしまったことがなんどもあるけど、

 

そんな時に、あー昨日はシャワー浴びずに寝ちゃって正解だったな

とは一度も思ったことがないのは私だけかな?

 

朝起きると体が硬くて、髪の毛もなんだか気持ち悪くて、顔は油っぽくて最悪な気分になる。

 

とにかく体が硬くなっている感じがするのが苦手。

髪を洗うのに体を折り曲げるのがなんだか苦しい。

 

お風呂には体を柔らかくする効果があるのかもなあと最近やっと気づいた。

 

だから、帰ってきて疲れててお風呂がだるくても、

疲れを取るためにお風呂に入ろうかな、という考え方に変わってきてていい感じ。

 

いい面に目を向けると、なんだか気分がいい。

ストレスが一個減った感じ。

 

仕事で身体中の血が滞って、足も顔もかたもなんだか固まってるなあ、

という時にお風呂。

 

上がると本当にさっぱり気持ちよくてリラックス。

 

毎日お風呂がめんどくさくて憂鬱な人は、お風呂をポジティブに捉えてみたらいいかも。

 

お風呂ありがとう!って感じで。

 

 

 

 

今のままの自分を好きになる、とは

恋に破れて、呆然としながらも、同じような辛い恋のパターンを冷静に感じてきている自分がいる。

 

私は辛い恋が大好きなのかもしれない。

思わせぶりな態度をとるくせに、私に告白してきてくれた人をこっぴどく振ってしまったり、好意がありそうな男の子に冷たい態度を取ってしまったりする。

 

自分に恋愛感情を持たれていると気づくと、途端に気持ち悪く、逃げ出したくなってしまう、ひどい女。

 

その代わりに、私に興味なさそうなお金持ちで頭のいい人が大好きで、

毎回私がどハマりして、身も心も全て捧げてしまうのは、そういう、私のことをあしらって、全く振り向いてくれない人ばかりだった。

 

それはなんでだろうか、といろんな本を読んでいると、私はわたしのことが嫌いなのだろう、という結論に達した。

 

自分が、自分のことをダメだとかダサいとかバカだとか要領が悪いと思っているから、私のことを好いてくれる人のことをセンスがないやつだと見下してしまう。

 

代わりに、私に興味がなくて、明らかに私よりもお金持ちで頭のいい人がいると、ああこの人はわかっている、自分より上の人だ、ということになって、追っかけたくなってしまう。

 

だからこそ、私は、私のことを愛さなければ、一生この苦しい恋をしなければいけなくなってしまうのであった。

 

自分を好きになりましょう、とか、ありのままの自分で、とかよく耳にするけれど、

私は、自分を好きになるために、何か変わらなければならないと思ったし、

ありのままを素晴らしくするために鍛えなければならないと思っていた。

 

でも、そもそもそういうことをするのは間違いで、変わらなきゃ、と思う前の自分のままでよかった。

というか、自分というものはそんなに変われない、と最近気づいてきた。

 

自分を愛さなきゃ、じゃなくて愛すしかない。

自分は自分でしかなくて、他人にはなれないのだから、もう愛したほうが楽だ、認めた方が楽だ、という話。

他人と比べてはいけないのではなく、他人と比べても自分以外にはなれないから意味ないからやめとけ、という話、

 

ある意味で諦めだし、観念。

 

ああ、自分は自分でしかないんだ、という事実に気づいた人から、仕方なく、自分を愛していくことができるのかもしれない。

 

そして、それに気づくのは結構むづかしくて、苦しみの末に、ふと気づくその瞬間をまたなければならないのかもしれない。

 

頭でわかるだけでなく、ああこういうことか、と。

 

3回目の辛い恋が終わったところで、私は気づいたけど。

 

やはり人間は経験からしか学べないのかもしれない。

 

人生は、どんどん気づいていって、この世が空虚であることを観念していくための修行なんじゃないだろうか、と、

 

終わった恋の傷跡がヒリヒリ痛くて、そんなことを考えたりしている。

 

 

次の恋に落ちてしまうまで

何かを好き、とか、これじゃなきゃやだ!とかいう状態って、

とても楽しいけど苦しいなあと思う。

 

何かが大好きだとそれが手に入らなかった時とか失ってしまった時に苦しいから。

 

この世にこれじゃなきゃだ無理!なものなんてほんとはないのかもしれない。

家族くらいかもしれないなと最近思う。

 

これじゃなきゃ、と思っているものは、何かに執着して、離れられないだけで、

実際、他に代用品があったりするんじゃないだろうか、なんて。

 

どうしてあんなにあの人のために頭も体も心も時間も捧げられたのだろう、とか。

 

昔の恋なんか思い出すと、なんか自分に足りないものをその人で埋めようとしていたのかもなあなんて。

 

恋は楽しいことだけど、それをまたしたいかと聞かれると少し迷う。

 

恋は楽しいけどとても苦しいし、恋のエキサイティングな感じだけ味わい続けるのは難しくて、いつか終わりがきて結局苦しいものになってしましそうだから。

 

恋したいなあなんてごちゃごちゃ考えずに、恋に落ちてしまうまでの間は、のんびり、自分のために頭も体も心も時間も使っていきたいなあ。

 

なんて、一つ恋が終わってしまった私はちょっとの寂しさを共に考えたりする。

 

ほどほどに食べてとっとと寝る

新しい仕事を始めてから早3ヶ月がすぎた。

 

最近では少し仕事になれてきたし、早寝早起きもできるようになってきた。

 

やっぱり、眠ることが大事だなあと思う。

 

最近は、12時前後にはお布団に入るように気をつけている。

 

仕事終わりに疲れて帰ってきて、そのまま布団に寝っ転がって10時くらいまで寝てしまうということを前はよくやってしまっていたけど、

 

家について、お腹ぺこぺこの状態で、

 

簡単なレンジでチンしたお豆腐なんかとご飯をちょこっと食べて、

お風呂にとっとと入ってしまって、12じすぎる頃くらいにお布団にはい流のが、最近のリズム。

 

肝は、晩御飯を食べ過ぎないこと。

 

腹一杯に食べると体が重くなって眠くなってしまうことに気づいた。

 

何事も、ほどほどが一番だなあ、と思ってます、最近。

 

誰かにとっての特別になんてなれないんだ、と気づいた寒い夕方

この世に代替不可能なものなんて親とか家族くらいで、

 

たかが他人だったなら、代わりには誰でもなり得るのかもしれないなあ、

なんて思いながら谷町線に揺られて家に帰りました。

 

私のことを特別だと思ってほしい、と願うことは無意味で苦しいです。

 

誰かの特別になろうと、ひっそりと心を痛めて、たくさんの時間をかけて、

神様にお願いしても、きっと、願いは叶わない気がします。

 

そんなことしても、自分が思った以上にありふれた存在として認識されていることに気づいた時、こころの傷を深くするだけなきがする。

 

願ってどうにかなる話じゃないんだろうなあと思う。

 

自分も相手も、自由に考えて行動できる人間だから。

 

だから、自分が勝手に祈って、期待しても、向こうは向こうで勝手に生きている。

 

無駄なことはやめよう、と私には言いたい。

 

自分を苦しめるために、祈るのはやめて、私は私で、勝手気ままに恋をしよう。

 

特別になれる可能性がある、と思うからその事柄をお願いしているんだろうけれど、

そんな可能性は鼻からないと思え。

 

自分はどうせ、誰かの特別にはなれない。

 

だから、こころをぎゅう、と硬くして、お祈りなんかしてないで、

緩めて、自由に、勝手気ままに誰かをどんどん好きになって。

 

 

人生は行ったきりだから、幸福は味わいたい、という話

好きな人ができると、独り占めしたくなるのは如何してなんだろう。

 

好きな人とフレンチを食べて別れた後、その瞬間から、他の誰かとも食事をしているんだろうか、と不安な気持ちになる。

 

この独り占めしたくなる気持ちさえなければ、楽しい夜が過ごせた余韻にどっぷりと浸れるのに。

 

こんなにやきもきせずに済むのに。

 

グーグルで「独り占めしたくなる なんで」で調べても、これと行った答えは出てこなかった。

 

みんな「あなただけです」みたいな顔してデートをする。

 

私だってそう。だから、あなたもきっとそうなんだろうなあと思う。

 

自分だけ、あなた以外とも楽しんで、あなたのことは独り占めするなんて楽しみ方はできない。

 

恋をしている時は、他のことに気を取られているくらいがちょうどいいんじゃないかと思う。

 

退屈しないように、他の人を支配しようとせずに、楽しみたい。

 

私とあなたと、あなたが遊んでいる私以外の人、という三角関係で考えるんじゃなくて、

私とあなたの関係だけ考えて、どーでもいい、いるかどうかもわからない誰かの事に気を取られずに、あなたとの楽しい時間を甘く過ごしていきたい。

 

だって、人生は行ったきりでもう戻らないのだから。

楽しかったデートも、若さも、甘い夜も、全部もう一度味わいたいと思っても、

もうそんなことは叶わないのだから。

 

チャンスは一度だけだから、そのときめきをきちんと、大切に味わわなければ。

 

この世界は、あなたと私だけ。