過去の思い出をうっとり眺めている暇はない
悪いことなんて忘れてしまえ、とかはよく聞くけど
良いことだってまあ、忘れるというか、忘れたように生きるのも良いのかもしれないと思う。
嫌だった記憶を脳内でリピートするのは気が滅入って、よくないのはもちろん。
素敵な思い出を頻繁に取り出してうっとりと眺めるのも、なんだか今に集中していないなと思う。
昔のことを思い出す事は苦しい事だと思う。
よかった記憶を取り出している時間でさえ、ああ、それに引き換え今は、、と、なんだか感傷に浸ってしまっていると思う。少しは。
そんなことにたくさん時間を使うより、ボケーっとしているほうが脳は疲れないんじゃないだろうか。
まあ、ボケーっとしたり、新たなワクワクを見つけたり、本読んだりなんや感やしてるほうが、リフレッシュできる気がする。
でも、過去のことを一切忘れてしまうのは寂しいから
これは、と思ったことはきちんと記録していかなきゃなあと思う。
記録できたら今に集中。
たまに振り返りたくなったら、書いたものを読んで見る、と。
そうしたほうが疲れないし、今に集中できるから楽しいことを発見しやすいんじゃないかなあ、と思った。
おすすめ商品紹介したって
私が最近気に入って使っている洗顔は、ロゼットの黄色のチューブのやつ。
泥が入って流けどつっぱらないし、ハーブのクリーンな香りがする。
それにるるるんの沖縄のパックをつけたら、とてもぷるぷるになっていい感じ。。。
というおすすめをここで書いたところで、何になるのか、と思う。
人の肌なんて人それぞれじゃないか、と。
ツイッターでよく見る、おすすめコスメも、Instagramで憧れた新作コスメのお試し動画も。
人の肌質とか肌の色は違うんだから、なんだか、そこまで参考にはならないような気がする。
この色素敵!と思っても、私のくすんだ肌に載せたら、その口紅は。。。という感じで。
気づいてきてしまった。
やっぱし、自分の肌で地道に試していくしかないらしい。
参考にする程度で、その情報に振り回されすぎないようにしたいな。と思います。
パターンを変えて退屈を騙す
自分の生活スタイルを確立するということには憧れるけど、
毎日ワンパターンの生活は飽きるから、少しづつ変えて変化を楽しむのがいいんじゃないかと最近思う。
朝ごはんだって、ご飯に飽きたらパンに。
スキンケアも、シンプルな化粧水に乳液だけだと飽きて効き目というか、変化も感じづらくなってくるから、パックを毎日して見たり。
コーヒーばっかじゃなくて紅茶を飲んで見たり。
人生長いからワンパターンだと飽きてくる。
私はこれなの!!と決めつけづに。
人間の心は変わるし、世間も変わるから、
飽きたり、変えた方がいいなーと思ったら、自分のスタイルとかなんとか言ってこだわってないで、自分の求めるものに変えてもいい、し。
毎日マンネリ、と思ったら、なんか小さな事でも変えて見たら、気分転換になっていいのかもな、と。
日々仕切り直し
月曜日がやっと終わった。
まだ月曜だけどなんだか、いつものごとく疲れてしまった。
これから曜日が進みに連れて、疲れが重く、しつこくなって行くのかなあ、
と思うと恐ろしい。
毎週、今週こそは軽やかに乗り切りたい、と思うけど、どうしても、
どこかでドッと疲れてしまって、張り切った分さらにぐったりしてしまう。
なんとか仕切り直して、気分転換して、うまく生きて行くしかないのだろうなと思う。
疲れや嫌なことはもちろん、調子がいい日だって仕切り直し。
プラスな状態も結構、調子に乗ってしまってよくないと思うから。
フラットな状態に戻して、また明日を迎えられたらいいな。
今日あった嫌なこともいいことも心の中に流れている川に流してしまおう。
私たちは何にも持って生まれないし、死ぬ時だって、あの世には何も持っていけないのだし。
この世は空虚だということを思えば、淡々とできるのではないかなあ。
生活は毎日毎日、休みなく続くからこそ、自分できちんと区切れを作って、
気分を新たにする仕掛けを作らなければならないのだと思う。
そういう仕掛けが、昔の人が作った季節の行事だったりするのかな。
現代では、そういう行事がおろそかになっているから、区切れを感じづらいかも。
ハロウィン!とかクリスマス!とか、なんだかはしゃぐための季節のイベントは発達してるけど、それは人生の区切れを意識するというより、商業的な、お金を使わすための仕掛けって感じがするし。
人生の切れ目を感じづらい現代は、自分でなんらかの区切れを作って、
意識的に仕切り直したり、とめどなく続くように思える人生の物差しとして、
人生の有限さをかんじなきゃメリハリがないかもなあ。
なんだか24さいだというのに、色気も何もない寂しい感じになってしまってるけど。。
とりあえず、明日もいい日になるように、仕切り直しがんばろ。
きっと、いつだって幸せ
この日記の過去の記事を遡ってみたら、案外2年くらいやっていて驚いた。
時が経つのは早いなあと思う。
昔の記事をみてみると、過去の自分の価値観が現れていて、恥ずかしいけど懐かしくなった。
どうでもいいことで必死になってたり、困っていたりしてたなあ、と。
就活がなかなかやる気が出なくてうまくいかないこと、
モラハラな彼氏の存在に悩んでいたこと、
新卒で入った会社が辛くて、自分の時間をなんとか最大限にリラックスしたいと思っていたこと
仕事をやめて、自由に酔いしれていたこと。
色々あったなあ、と懐かしく思った。
でも、なんだかんだ、あの頃も楽しかったのかもなあ、と思う。
なんだかんだ、楽しかったかも。
後になってみてわかるけど。
大学時代、卒業旅行に行くためにお金をためてたのも、なんか楽しかったなあ。
彼氏に旅行に連れてってもらったのも、楽しかった。
仕事やめて、恋をして、なんだか楽しかった。
今は、なんだか空虚な気持ちになって、早く終わりの日がくればいいのにな、なんて考えてしまうことも多いけど、
きっと今日だって、後から考えたら、なんだか楽しいと思うんだと思う。
だから、毎日大切にして、死にたいなんてくらいこと考えるのも、まあ人間だから仕方ないけど、楽観的に、幸せを貪欲に探してみるのもいいのかもなあ、と思った。
期待は少なく、でも変に空虚を気取らずに。
地獄の苦しみの恋は自分が未熟だから
ガチ恋は、する方もされる方も地獄なのかもなあと思う。
まず恋してしまう方は言わずもがな、地獄の苦しみ。
相手に翻弄されて、小さなことで喜んで、小さなことで悲しむ。
自分のために与えられているはずの自分の心や体や時間を、相手に惜しみなく捧げる。
一方で、恋される方も結構大変だと思う。あまり経験はないけど。
自分に執着されることは結構怖いんじゃないかなと思うから。
なんでそんなに私がいいの?と。
わからなくて気味が悪いんじゃなかろうか。
私はちょっと前までガチ恋をしていた方な訳だけれど、
きっと向こうは結構迷惑だったのかもしれないなあ、と今は少し反省している。
相手の気持ちを考えていなかったな、と。
恋は盲目というけど、自分も相手も見えなくなってしまう。
相手のために、心や時間、時には体を捧げているような錯覚に陥るけど、
結局自分のためにしている。
見返りが欲しくて自分を捧げる。嫌わないでほしい、もっと好きになってほしい。
たくさん自分を捧げているのに見返りがないと、次第に苛立ってきて、しまいには殺してしまいたいくらい憎くなってしまう、というわけ。
恋は自分勝手なものだなあ、と思う。
相手に自分を好きになってほしい、という身勝手な考えに支配されてしまって、不合理なことばかりしてしまう。自分にも相手にも。
相手の気持ちを考えられなくなって、相手のためだとか言って自分勝手なことばかりしてしまう。
ああ、恋に踊らされることは、バカらしくて、なんだか未熟だなあ、と思った。
結局、自分が自分で苦しくなるように仕向けているみたい。
こだわらなければもっと気楽なのに。
自分の幸せを求めれば求めるだけ、それが手に入らなかった時の苦しみが大きいというのに。
それを知らずに、自分の足りないところを相手に求めてばかりで、自分は何も与えようとしない。
今回失敗してみて少し気がつけてよかったなとも思うけど。
修行を積んで、相手のことをちょっとでも考えながら恋ができたなら、
もしかしたらもう少しうまくいったのかもしれないなあ。
お風呂はめんどくさいけどいいもんだ
お風呂に入るのがめんどくさくて、眠くて疲れてて、そのまま布団に転がって朝まで寝てしまったことがなんどもあるけど、
そんな時に、あー昨日はシャワー浴びずに寝ちゃって正解だったな
とは一度も思ったことがないのは私だけかな?
朝起きると体が硬くて、髪の毛もなんだか気持ち悪くて、顔は油っぽくて最悪な気分になる。
とにかく体が硬くなっている感じがするのが苦手。
髪を洗うのに体を折り曲げるのがなんだか苦しい。
お風呂には体を柔らかくする効果があるのかもなあと最近やっと気づいた。
だから、帰ってきて疲れててお風呂がだるくても、
疲れを取るためにお風呂に入ろうかな、という考え方に変わってきてていい感じ。
いい面に目を向けると、なんだか気分がいい。
ストレスが一個減った感じ。
仕事で身体中の血が滞って、足も顔もかたもなんだか固まってるなあ、
という時にお風呂。
上がると本当にさっぱり気持ちよくてリラックス。
毎日お風呂がめんどくさくて憂鬱な人は、お風呂をポジティブに捉えてみたらいいかも。
お風呂ありがとう!って感じで。