分福茶釜

必要十分と、少しの贅沢

向田邦子的に。いい気分にさせてくれるものならそれがいいや。

 

向田邦子さんが特集されている本を図書館で借りました。

最近トットテレビにはまっているせいでそれに出てくる登場人物が気になってしまいます。

そんな感じで『不思議の国のトットちゃん』、『トットチャンネル』の2冊とともに向田邦子さんの本も一緒に借りたのでした。

 

 

まだぱらぱら読んだ段階ですが、気になるフレーズを見つけました。

 

 

あまり知りすぎず、高望みせず、3度の食事と仕事のあい間に楽しむ煎茶、番茶、そして台所でたったまま点てるお薄。この時をいい気分にさせてくれれば、それでいい 

 

 

 というフレーズ。

 

向田さんはお茶タイムを充実させるために器も素敵なものにこだわっていたのだとか。

 

最初の方の向田さんの日常が感じられるところもすごく素敵だと思ったのですが、特に最後の「いい気分にさせてくれればそれでいい」というところがよかったのです。

 

私もこだわりが強いところがあるし、人がやってる事に影響されやすいところがあります。

「なんか雰囲気いいから私もほしい!」とか「あのひとがやっているんだから同じように私もやりたい!」とか。

 

こんな具合で、そのフレーズと一緒に載っている写真みたいな渋い焼き物を集めて、私も煎茶、番茶、台所で立ったままお薄を点てて飲みたい!

と、1秒くらいの間考えました。

 

でも最後の一行で「あ、ちがう」とその考えを正されました。

 

結局、自分がいい気分になれなければなんの意味もないんだなと気づいたのです。

私が渋い器を集めて、煎茶や番茶やお薄を飲んだら、向田邦子になった気分にはなれると思うけれど、正直渋い焼き物は私ごのみだとは思わないし、お薄なんて立てなくても紙パックのコーヒーとか、適当におちゃっぱでいれる緑茶で今のところは満たされています。

 

冷静になると最後の一文「いい気分になれるかどうか」でいえば普通かなって感じだったのでした。

 

一番大事なポイントを忘れているから、私が色んな人の真似をしてこだわっていてもなんだか満たされないのかもなって少しわかった気分になったのでした。

 

これほしい!って誰かに影響されそうになったら、それを真似して私が気分がよくなるか、ちゃんと立ち止まってから取り入れたいです。

 

向田邦子 ---脚本家と作家の間で

向田邦子 ---脚本家と作家の間で