分福茶釜

必要十分と、少しの贅沢

自分らしさはカテゴライズできない。

グレーのプリーツマキシスカート
黒のTシャツ
薄いブルーのボーイフレンドデニム
白のトップス


最近ワードローブがこんなかんじ。

白のトップス以外今季買った洋服たちですが、私にぴったりきてるらしいです。

この服達を手に入れてコーディネートを確立してから、心に焦りがなくなりました。
着る服があるという安心感はとても大切だなあと思います。
着心地が悪くなく、街のガラスなどにふと映った自分を見ても悪くないなと思える服。
そんな服をなかなか見つけられなかった私にとって、そのような服を纏える毎日は地味に とても幸福なことだと思います。

自分にしっくりくる服達と偶然にも出会えて思ったことは、私らしさは雑誌の中には無いということ。

やっぱり私がすきな雰囲気はカテゴライズできない。

JJみたいなカッコいいおしゃれも好きだしサブカルっぽいかんじも好き。camcanみたいな甘い服にも憧れる。
PUFFYみたいな超リラックススタイルもいいと思う。
でも、私がついつい手にとってしまう服や、着ていて私っぽいなと思う服は、クリーンなかんじがして 丈が長めの 落ち着いた服。どちらかというと保守的。
女らし過ぎてもだめで、カッコよすぎてもだめ。ゆったりしすぎてても違う。


世の中で勝手に分類して名前をつけたカテゴリの中に、完全に一致できない。

私は雑誌が好きで、何系になるかすごく迷ってた。
森ガールも可愛かったし、サブカル女子も新鮮でかっこいいなと思ってた。でも、いい女風のお姉さんにもなりたいなって。
どんな系統の人生を送りたいかすごく迷ってた。
マンハッタンで暮らすキャリーがかっこいいと思ったし、東京のバリキャリOLも素敵だと思った。でも、モテキみたいななんだか怪しくて雑然としたカルチャーな暮らしもたまらなくしてみたいと思って、私はどんな生き方がいいのかなって悩んだ。

今思うとそんなのはほんとにおかしい。

決められた系統に自分を合わせる必要は一切無いのに。

マンハッタンのキャリーみたいなざっくばらんな一面を持ちつつ、バリキャリOLみたいにびしっと背筋をのばして、時にはモテキみたいなカルチャーな雰囲気に浸ればいいだけ。


雑誌や世間が定義してるいくつかの生き方の枠とひとりひとり違う人間。

人間に対して枠が少なすぎるでしょ!

完全に一致できるわけ無いですよね;;

そんな当たり前のことにも気付かず、自分の着る服とか、将来さえも世間が作ったいくつかの枠から決めようとしてた。

だから上手くいかなくて悩んでたんだなーって、今は思います。

もっと自分ありきでいいんだと。

なんか好きだと思うことを、自分が目指すカテゴリーとは違うからと言って排除する考え方はもうやめます。

私という一つのカテゴリーなんだと。
私が選ぶものは全部私だと 自由に生きます。