分福茶釜

必要十分と、少しの贅沢

誰かにとっての特別になんてなれないんだ、と気づいた寒い夕方

この世に代替不可能なものなんて親とか家族くらいで、

 

たかが他人だったなら、代わりには誰でもなり得るのかもしれないなあ、

なんて思いながら谷町線に揺られて家に帰りました。

 

私のことを特別だと思ってほしい、と願うことは無意味で苦しいです。

 

誰かの特別になろうと、ひっそりと心を痛めて、たくさんの時間をかけて、

神様にお願いしても、きっと、願いは叶わない気がします。

 

そんなことしても、自分が思った以上にありふれた存在として認識されていることに気づいた時、こころの傷を深くするだけなきがする。

 

願ってどうにかなる話じゃないんだろうなあと思う。

 

自分も相手も、自由に考えて行動できる人間だから。

 

だから、自分が勝手に祈って、期待しても、向こうは向こうで勝手に生きている。

 

無駄なことはやめよう、と私には言いたい。

 

自分を苦しめるために、祈るのはやめて、私は私で、勝手気ままに恋をしよう。

 

特別になれる可能性がある、と思うからその事柄をお願いしているんだろうけれど、

そんな可能性は鼻からないと思え。

 

自分はどうせ、誰かの特別にはなれない。

 

だから、こころをぎゅう、と硬くして、お祈りなんかしてないで、

緩めて、自由に、勝手気ままに誰かをどんどん好きになって。