分福茶釜

必要十分と、少しの贅沢

最小限に生きる必要なんてあるのだろうか

ミニマリストという言葉がちょっと前に流行っていてすこしはまっていました。

やっぱりこの考え方は魅力的だけど、今はそれほどでもありません。

 

最小限であることの利点はいくつかあると思います

  • 無駄な選択が省ける事(毎日の服選びとか)
  • お金やスペースの節約になる事
  • 身軽なこと(引っ越しがしやすいとか?)
  • お気に入りなものに囲まれて生きれる事

他にもいろいろあるかもしれません。

 

効率的な無駄のない生活はとっても魅力的です。

 

 

私もこのミニマリスト的思考に基づいた生活を1年前までの一人暮らし生活ですこし実践してました。

 

その時のテーマは物少なに生きると言う事でした。

もちろん物少なである事に加えて、厳選されたお気に入りたちと暮らしていくことが目標でした。

 

そんな私の生活はさっぱりしていた気もしますがなんだか疲れていたし、殺風景だった。

無駄なものが増えることが怖くて、なかなか新しいものを買えなかったし、買い物するときも「これはほんとに必要?大丈夫?」と必要以上に自問自答して、なんだか疲れてしまうことが多かった。

 

それでも物少なに行きたかったからどんどん断捨離を進めて、部屋はなんだか殺風景。

 

今思い出すと、あれは疲れて寂しい部屋だったかもなあと思います。

 

そもそもミニマリストに今すぐになろうとしていた私が間違っていたのかもしれません。

 というかいいもの好きな私にとってミニマリストという生き方をそのまま適合するのは間違っていたのかも。

 

私がミニマルな思考で最も魅力的なのは「お気に入りのものだけに囲まれて生きる事」と「選択のわずらわしさから解放されること」

 

お気に入りのものだってまだよくわかっていない

選択のわずらわしさを避けるために毎日似通った服ばっかりきるのも嫌

高くていいものをできる事なら飽きるまで消費したいと思っている、

そんなわがまま小娘に”今すぐ”に”ミニマリスト”になろうなんてのは無理ですよね

 

お気に入りをまず見つけなきゃいけないし、お気に入り探しは死ぬまで続けたい。

お気に入り探しには失敗はつきものだから私の性分では死ぬまで無駄と付き合わなきゃいけません。

 

さらに服好きの私としては毎日毎日地味な恰好でいるのは嫌なので、程よく流行を取り入れた服を季節の初めに試行錯誤しなければなりません。

季節は死ぬまで巡るからこれもまた死ぬまで季節の初めにはあれこれどの服を組み合わせるか頭を悩ませるはず。

 

どうやら私、死ぬまで「むだ」と「選択の煩わしさ」には付き合っていかなきゃいけないようです。

 

冷静に考えると 別に私が生きる上で最小限な必要なんてないのかもと思いいます。

むしろ最小限で生きるなんてもったいないんじゃないかとさえ思います。

 

今気づいたのですが私、買い物大好きで最大限消費生活を楽しみたいと思ってます。

我慢や節約が苦手でほしいものはほしいタイプです。

 

物を捨てて殺風景な部屋でミニマリストを気取るのも楽しかったけど、本当の私はもっと自由に直感で買い物をして新しい楽しみや自分の面を見つけたいと願っていました。

 

買って無駄だったなあって思うものはその都度捨てて、私がおばあさんになるころには多様なお気に入りがミックスされたおしゃれな部屋に暮らしていたいです。

死ぬまでお気に入りリストをアップデートしていきたいです。

 

 

 

 

モノは最低限、幸せは最大限

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